【風立ちぬ】本庄って一体、誰?名台詞・名シーンまとめ!

「風立ちぬ」にて主人公の友達であった本庄とはどのような人物なのか気になるという方はいると思います。今回は本庄の性格や名台詞や名シーンなどをまとめていきます。

本庄の基本情報

【風立ちぬ】本庄って一体、誰?名台詞・名シーンまとめ!

(C)スタジオジブリ

本庄の性格

本庄の性格はニヒリストで斜に構えたところがあります。日本の技術力の低さに関していら立ち焦りを隠しません。二郎から新しいアイディアを盛り込んだ設計図を渡されることがあっても二郎が先に使わなければ採用しないといった潔癖な一面もあります。

本庄の特徴

本庄は主人公の堀越二郎とは、東京帝国大学時代からの親友であり、後には同じ三菱と会社に入社した同僚であると共にライバルとなる存在です。重度のヘビースモーカーでもあります。「マンネリズム」「アバンギャルド」といった当時の日本としては馴染みのなく新しい言葉であった西洋の言葉を使用していました。

本庄の行動

三菱に入社した後は、二郎と共にその技術力の高さから頭角を現す若手となります。ドイツ留学も二郎と一緒にします。しかし、ここからは二郎と違う道を行き、本庄は留学直前に本作には未登場の女性と結婚しています。理由は「本腰を据えるため」としていましたが、実際は照れ隠しで幼なじみで大好きな女性と結婚した、とビジュアルブックでは解説されています。

帰国した二郎と対称的に、ドイツに残ってユンカース社からの技術供与を受け、爆撃機のライセンス生産に関わります。日本に戻ってからは八試特殊偵察機、九試陸上攻撃機の設計主務を務めるという活躍ぶりを見せました。

本庄のモデル

本庄には二郎と同じくモデルとなる実在の人物がいます。その名は、本庄季朗(ほんじょうきろう)です。生まれは東京都の1901年で、1990年つまり平成2年まで生きていた方でした。経歴は作中の本庄とおよそ同じで、日本の代表的な大型機を設計しました。実際の本庄季朗は堀越二郎と同学年ではなく、1つ年上でした。これは同じ年の方が物語やキャラクターを描きやすいといった理由があったからだと思われます。

零戦の1つである三二型の主設計者の堀越二郎が過労で倒れていたことから、勝手に改設計して堀越との確執が生まれたこともありました。本庄の息子の発言では「飛ぶものなら何でも手にする」と言われた人物でもあり、飛ぶこと以外の興味の対象はなかったようです。

晩年には色物番組だった鳥人間コンテストに、本気で作りこんだ機体とプロの滑走者によってギネス記録を叩き出したという珍妙な実話があります。

本庄の声優

本庄の声を務めたのは、西島秀俊さんになります。横浜国立大学に在学している時から俳優としての活動をし、先輩の薦めでオーデションを受けて合格したことから俳優人生が始まりました。1992年にはテレビドラマ「はぐれ刑事純情派5」で本格的なデビューを果たしました。わ大ヒットドラマで最高視聴率30%越えをした「あすなろ白書」では同性愛者役を演じたこと注目を浴びました。

受賞歴としては、「散り椿」で日本アカデミー賞第42回優秀助演男優賞、日本映画プロフェッショナル大賞の主演男優賞を1999年、2005年、2011年と複数回も受賞しました。国外でもその活躍は評価され、ヴェネツィアやトロントの国際映画祭でも賞を頂きました。

本庄の名台詞・名シーン

ここからは本庄のニヒルな一面が見られた場面や名シーンを紹介していきます。

「貧乏な国が飛行機を持ちたがる。それで俺たちは飛行機を作れる。矛盾だ」

【風立ちぬ】本庄って一体、誰?名台詞・名シーンまとめ!

(C)スタジオジブリ

二郎と2人してドイツ留学する前の場面です。本庄は日本があまり財政が良くないにも関わらずに戦争の為にと飛行機を求めていることを皮肉めいて言います。その結果、自分自身が三菱に就職できて、飛行機の設計ができるということが分かってはいるものの、戦争が起きている以上はそれを全肯定できないと物語っていました。

「寝ちまったのか。日本の飛行機を1人でしょってるような顔しやがって」

【風立ちぬ】本庄って一体、誰?名台詞・名シーンまとめ!

(C)スタジオジブリ

本庄は二郎と共に、ドイツのユンカース社の飛行機工場の見学をしたことで、日本とドイツの間にある途方もない技術力の差を感じていました。本庄がシャワーを浴びている内に二郎はベッドで眠り込んでしまい、その寝顔を見た本庄が言った言葉でした。大学時代から一緒にいる二郎が飛行機のことがとても好きでいることを知っているからこそ出た台詞だと思います。そして、日本の飛行機の技術進歩を推し進める存在だと気づいていたのでしょう。

堀越二郎のライバル兼親友

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(C)スタジオジブリ

堀越二郎と共に大学時代を経て、同じ会社にまで就職しましたが、本庄には二郎にはないニヒルな面がありました。長らくずっと一緒にいたので2人は親友であり、それと同時に同じ飛行機設計技師として働きながらもお互いを高め合う良きライバルでもありました。

二郎はあまり気にしていなかったかもしれませんが、本庄という競い合える仲間がいたことは重要だったと思います。