堀越二郎の基本情報
名前 | 堀越二郎(ほりこしじろう) |
性別 | 男 |
年齢 | 不明 |
声優 | 庵野秀明 |
堀越二郎の性格
比較的に裕福な家庭に生まれたことから、性格はのんびりとしていて掴みどころのない人物として描かれます。時間や予定には関してはあまり気にしないタイプです。また、夢想家でもあり、脳裏には常日頃から飛行機と飛行機の設計プランなどで埋め尽くされています。それに熱中し過ぎるあまりに周囲の言葉も耳に入らずに作業に没頭してしまうことがしばしばあります。その為か、実の妹との約束を何度も守らないことがあり、妹からは薄情者と言われています。菜穂子が病気で弱ってしまって心配をかけまいと顔色をよく見せる化粧を毎日していることにも気づかないという鈍感ぶりもあります。
しかし、関東大震災に巻き込まれ避難中に足を挫いてしまった見ず知らずのお絹を二郎は背負って神社の境内まで避難させるといった優しさも見せます。人柄は至って真面目で誠実であるので人望には恵まれます。
堀越二郎の特徴
「早口である」「滑舌がよい」「凛としている」という3つを宮崎駿監督がイメージした主人公であります。風貌は黒髪の短髪で一般的な青年男性でありますが、視力があまり良くないようで厚みのあるレンズの丸眼鏡をかけています。大の好物は鯖で、タバコの銘柄はチェリーです。汽車に乗車していた時に関東大震災に遭うものの、少女の菜穂子と出逢います。
幼少から飛行機に憧れるものの、近眼であった為に視力が必要であるパイロットにはなれないことが分かっていました。しかし、夢で尊敬していたカプローニと対話し、飛行機に乗るではなく作るという道を見出して設計者の道を志します。
堀越二郎の設計
堀越二郎は、想い出の品の計算尺を使っていくつもの戦闘機を設計していきます。七試艦上戦闘機の開発においては初めてとなる設計主務を任されるという大役を担います。しかし、戦闘機の飛行試験中に垂直尾翼が折れたことで墜落し、実験は失敗に終わってしまいます。その後には九試単座戦闘機の試作一号機、逆ガル翼といった当時としては独創的な設計を行い、結果的に零戦を生み出しています。
堀越二郎のモデル
堀越二郎には実在するモデルが2人います。その内の1人は同名の堀越二郎で、1903年から1982年までと2度の世界大戦を経験し、世界的にも知られている零戦の設計者でありました。主人公の二郎と同じ点は東京帝国大学の航空学部で学び、その後に三菱に入社して零戦を含めたいくつもの戦闘機を設計したという点があります。
しかし、物語のもう1つの大きな軸となる妻の菜穂子の関係性のモデルは、堀越二郎ではなく堀辰雄という人物になります。堀辰雄は日本の小説家で、代表作には1937年「風立ちぬ」や1940年「菜穂子」といった映画の原作とも言えるシーンや台詞が多く引用されています。それと言うのも、彼の人生の一部が描かれた小説でもあったからです。菜穂子との出会いや菜穂子の病気である結核は堀辰雄と実際の妻が元となったのです。
堀越二郎の声優
堀越二郎の声を担当した方については知っている方も多いのではないでしょうか。映画監督として有名な庵野秀明さんになります。「ふじきの海のナディア」や第18回日本SF大賞受賞作の「新世紀エヴァンゲリオン」や新劇場版のエヴァンゲリオン作品の監督を務め、他の数々の作品の原画制作に携わりました。
実は「風立ちぬ」以外にも監督としてではなく、役者として出演している作品がいくつもあります。1998年「あぶない刑事フォーエヴァーTHE MOVIE」や206年「日本沈没」、そして妻である安野モヨコさんが原作者の2007年の「さくらん」などです。
堀越二郎の名台詞・名シーン
堀越二郎の名セリフと名シーンについて振り返っていきます。
「Le vent se lève, il faut tenter de vivre.(風が立つ。生きようと試みなければならない)」
列車に乗る二郎は、連結部分にいる時に突風によって被っていた帽子を飛ばされてしまうが、まだ少女であった菜穂子がその帽子を掴んでくれます。その時にやりとりした言葉を二郎が思い返した場面です。この台詞は、ポール・ヴァレリーというフランスの詩人の書いた「海辺の墓地」の一節であり、何度も劇中で登場します。映画のタイトルの元でもあり、同時にテーマと言える有名なフレーズでした。
「もちろん。100年だって待ちます」
二郎は、避暑地の軽井沢で運命的な再会を果たした菜穂子に結婚して欲しいと告白をします。しかし、菜穂子はこの時には既に自身の母と同じく結核になっておりました。菜穂子も二郎のことが好きで結婚したいという想いはあるものの、病気を治すまで待ってほしいと言った二郎の返答となる名台詞です。いかに菜穂子を愛しているかが分かる言葉でした。
熱意の冷めない設計士
パイロットにはなれなくとも小さい頃からの夢の設計士になることができ、また妻となる菜穂子とも幸せな時間を送ることができました。しかし、それは長くは続きませんでした。妻は病気で死に、戦闘機は戦争でボロボロになってしまいました。それでも二郎の生きた人生はそこにあり、懸命な姿が描かれました。