【もののけ姫】ナゴの守の正体とタタリ神になった理由は?

20世紀の日本において世界に誇れるアニメといえば【もののけ姫】という人も少なくないでしょう。それほどに絶大な人気を誇り、インパクトのあるジブリのアニメ映画だったといえます。

20世紀の日本の興行収入などの記録を次々に塗り替え、20世紀NO.1の作品とも呼べるこの【もののけ姫】、最初のインパクトのシーンで登場する「ナゴの守」はこの映画の設定を説明するのにもとても役立ちその語のストーリーにも大きく関わるシーンです。

今回はそんな「ナゴの守」について、その正体やタタリ神になった理由、ストーリーへの影響など様々な情報をご紹介していきたいと思います。

「ナゴの守」の基本情報

【もののけ姫】ナゴの守の正体とタタリ神になった理由は?

(C)スタジオジブリ

「ナゴの守」の基本情報をご紹介していきたいと思います。

「ナゴの守」の見た目と性格、正体とは

【もののけ姫】ナゴの守の正体とタタリ神になった理由は?

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「ナゴの守」はシシ神の森に住む巨大な猪神で、【もののけ姫】の物語の冒頭で登場したタタリ神の正体になります。

シシ神の森に生息している猪神たちを束ねる主でもあり、現在のタタラ場がある領域の森に同胞たちを集結させ、森を切り開こうとする人間たちと戦い続けてきました。

とても雄々しく勇猛な性格であったとされ、他の猪神達からも美しく強い兄弟だと評価されていました、森を守るため兵糧が必要だったとはいえ、結果的にタタラ場がある領域の森を群れ総出で食い荒らしていたことはモロの君にとっては快く思われていませんでした。

「ナゴの守」がタタリ神になった理由

【もののけ姫】ナゴの守の正体とタタリ神になった理由は?

(C)スタジオジブリ

シシ神の森を守ろうと人間と闘い続けてきた「ナゴの守」ですが、エボシ御前率いる石火矢衆に敗北、同胞は殲滅され自身も重傷を負いました、そして「ナゴの守」は苦しみと死への恐怖、劣勢から森を逃げ出します。

長い逃避行の末、周囲の邪気を取り込みつつ、怨念などの負の感情を増大させ、ついにはタタリ神へと変じてしまいシシ神の森からはるか遠く離れたアシタカの村へとたどり着くこととなります。

アシタカ(人間)にとどめを刺されてしまう「ナゴの守」ですが、アシタカの右腕に呪いをかけ自身の苦しみと憎しみを思い知るよう告げ絶命します。

そして、その憎しみの根源たる石火矢の弾が体内から出てきます。これが、手掛かりとなりアシタカは村を襲った「ナゴの守」の仇はエボシ御前であることがわかります。

そして、「ナゴの守」の残した右腕の呪いはエボシ御前を前にして敵意をむき出しにしますがアシタカがこれを制します、死して尚憎しみを晴らそうとする執念とその憎しみと苦しみの深さがしっかりと描写されています。

「ナゴの守」の名シーン・名セリフ

「ナゴの守」の名シーンや名セリフをご紹介していきたいと思います。

「汚らわしい人間共め、我が苦しみと憎しみを知るがいい」

【もののけ姫】ナゴの守の正体とタタリ神になった理由は?

(C)スタジオジブリ

アシタカの村の近くに突如として姿を現したタタリ神(ナゴの守)、人間への憎悪と苦しみにより人間を見境なく攻撃しようとしますが、村へ向かうのを止めるためにアシタカはタタリ神を退治します。

息絶える前にタタリ神(ナゴの守)が残したこと言葉になります。エボシ御前率いる石火矢衆に敗北し、撃ち込まれた石火矢の弾とその憎しみによりタタリ神へと変じてしまいますがその怒りと憎しみを呪いを通して人間(アシタカ)へと伝えます。

冒頭のシーンにして早くもこの映画の概要を意味している場面になります、人間対森の神々達という事実があるという事をしっかりと把握させてくれます。

「その右腕は私を殺そうとしているのか」

【もののけ姫】ナゴの守の正体とタタリ神になった理由は?

(C)スタジオジブリ

タタラ場に流れ着いたアシタカは道中で山犬に襲われ谷へ転落していた甲六を助け、エボシ御前に客人としてタタラ場を案内されていた際にタタラ場の別棟でエボシ御前が「ナゴの守」を討伐した話を業績のように称えられていました。

その後のエボシ御前との対話の際に呪いが暴走しアシタカの腕は勝手に動き刀に手をやり、抜こうとします。そこでその反応を見たエボシ御前の言葉になります。

このシーンは形や言葉はないですが、「ナゴの守」の怒りや憎しみが今なお衰えておらず、その標的がエボシ御前である事をしっかりと認識していることを描写しています。姿や声はなくてもそこには確かに「ナゴの守」の憎しみが存在していました。

そして、自然と敵対する対象が人間であることを表現していますが、人間にも守らねばならないもの開拓を推し進めていかなければならない理由などがその後に語られることとなります。

このシーンでは森の神々の望みや、人間の望みどちらも悪ではないという認識を深めるとても重要なシーンとなり勧善懲悪のない物語であるという事を表現する描写の一つといえます。

まとめ

「ナゴの守」についての記事をまとめさせていただきました、人間に対しての憎悪を呪いという形で残し、死してなおその怒りはやまずに復讐を遂げようとし、その憎しみの深さを感じさせます。

しかし序盤では人間が悪と考えられましたが、中盤の右腕のシーンでは人間にも守らねばならないものがあるという事を認識させてくれます。

奇しくも最も人間を憎んでいた「ナゴの守」の描写があるだけにその見せ方の落差感じて、より人間の守るべきものが何なのかを印象づけてくれます。