20世紀の日本において歴代最高の興行収入を獲得するという偉業を成し遂げた作品がこの【もののけ姫】になります。
とてもインパクトのある映画でストーリーも考えさせられる事柄が多いです、単に自然破壊を否定するというようなものではなく、勧善懲悪の概念がない真に正しさを問われているような内容がとても魅力的です。
その作品内でひときわ印象的な場面で登場するのがこの「乙事主」です、自然において大きな存在となるこのキャラクターはとても重要な役割を担っています。
今回はそんな「乙事主」についてのご紹介をしていきたいと思います。
乙事主(おっことぬし)の基本情報
「乙事主」の基本情報をご紹介していきたいと思います。
種族 | 猪神 |
出身地 | 鎮西(九州) |
年齢 | 齢500歳 |
兄弟 | ナゴの守 |
声優 | 森繁久彌 |
乙事主の見た目と性格
「乙事主」の見た目は猪でその大きな姿は猪神と呼ぶにふさわしく、通常の猪の茶色い栗毛とは違い白毛の毛色はその猪神達の中でも王と呼ぶにふさわしい風貌をしています。
誇り高く義理を重んじる性格で、少し融通の利かない猪神達の中にあって年の功もあってか器が大きく、他人の言葉にも耳を傾け、尊重しアシタカにも戦が始まる前に逃げる事を示唆する言葉をかけたり偏見に囚われない優しい猪の王といえます。
また、遠い鎮西(九州)の地から猪神の兄弟であるナゴの守の死を受け、エボシ御前へ仇を討たんとはるばる駆け付けた事を考えても義理に熱い存在であるといえます。
モロの君も「少しは話のわかりそうな奴」や「死ぬと理解していても、猪族の誇りの方を優先してしまう」というような性格を表すような言葉をかけています。
このことからも「乙事主」の器の広さや、猪神であることを誇りに思いその誇りや義理の為に戦うことのできる男気を感じることが出来ます。そして最後には「たとえ我が一族が悉く滅びようとも、人間に思い知らせてやる」という言葉もかけています。
乙事主がタタリ神になった理由
「乙事主」には悩みがありました、それは年々若くなるにつれ猪神は思慮の浅い神になっていると、わかりやすく言えば「乙事主」が述べたように「バカになりつつある」というものでした。
さらに猪神からタタリ神を出してしまった(ナゴの守)事に対しての憂いを口にしています。
しかし、そのナゴの守の仇を討たんとはるばる鎮西(九州)の地からやってきてエボシ御前と戦うことになります。
罠であることや戦って敗れてしまう事はわかっていても猪突猛進で突き進み命からがら森に三毛返ってきた「乙事主」ですが、もうすでに意識は浅く獣の毛皮を被り、その血を体に塗った人間たちを同胞と見間違えてしまいます。
普段の冷静な「乙事主」であればこんな間違えを起こすことはありませんが怒りと負傷により我を忘れてしまっていたことが伺えます。
その後も獣に扮した人間に攻撃を受け血を吐きさらに怒りや憎しみは増大していってしまいます、その結果身体からはタタリ神特有の蛇のような生物が生えてきて身体を覆われてしまいます。
サンがこの生物を払いのけてタタリ神になる事を阻止しようとしますが、叶わず「乙事主」はタタリ神へと姿を変えていってしまいます。
乙事主(おっことぬし)の名シーン・名セリフ
「乙事主」の名シーンや名セリフをご紹介していきたいと思います。
「たとえ、我が一族ことごとく滅ぶとも人間に思い知らせてやる」
ナゴの守の仇を討とうと、エボシ御前率いる人間の軍勢に立ち向かう「乙事主」のセリフになります。
「乙事主」の存在の大きさや人間に対する嫌悪を表現した言葉でこの後に迎える大きな局面の序章ともとれるシーンになります。また、「乙事主」の潔さ、義理への熱さを感じることが出来ます。
人を憎みタタリ神になる一部始終が描かれており人類の反映はこの憎しみや怒りの下に成り立っていることを痛感させられます。奇しくもそんな「乙事主」の最期が人間と動物とのあり方を考えさせられる名シーンであるといえます。
「もどってきた!黄泉の国から戦士たちが帰ってきた!」
エボシ御前に対して、勝ち目のない戦いを挑んだ山の神であり猪の王の「乙事主」、サンに助けられながらシシ神の元へ向かおうとする途中、獣の皮を被って猪に扮したジバシリ達に追い打ちをかけられます。
もはや理性すら失ってしまった「乙事主」は人間が扮した猪を戦いに敗れ死んでいった同胞と勘違いしてしまいこの言葉を発します。
戦いに敗れてしまった「乙事主」はその理性すら失ってしまった事を表現しています。しかし、そこから人間のさらなる攻勢に「乙事主」はさら憤怒しその憎しみからタタリ神へと変貌するシーンへと続きます。
この後にタタリ神へと完全に変貌を遂げる前にシシ神によって命を奪われるのですが、それはシシ神の優しさでありタタリ神を嫌悪する「乙事主」にとって救いとなりました。
乙事主(おっことぬし)のまとめ
「乙事主」についての記事をまとめさせていただきました、「乙事主」は自然の怒りの具現化された姿であり怒り、憎しみに覆われた醜い姿だと思います。
自然保護の観点からも「乙事主」が不憫に思えますが、人間にも守り進まなければならない道がありそういった犠牲のもとに今日の世界があるという事を、我々は自覚しなくてはなりません。
そんなことを「乙事主」の最期の姿は教えてくれているのかもしれませんね。