秦の将軍、桓騎(かんき)です。
将軍としての実力は現在の秦国でも屈指で、生まれる時代が違えば六将に名を連ねていたとも言われています。その言葉通り、作中でも数多くの武功を上げています。
桓騎の戦い方に正攻法というのは無く、いすれも奇抜であったり、極端に残酷であったりと、他の武将には真似できないことを簡単に成し遂げるので、キングダムのキャラの中でも読者の支持率の高いキャラの1人です。
ここでは、桓騎のこれまでの活躍とその実力を解説していきます。
桓騎(かんき)の基本情報
桓騎について、簡単に紹介しておきます。
所属国 | 秦 |
地位 | 将軍 |
使用武器 | 剣 |
性別 | 男 |
初登場 | 19巻 |
声優 | 伊藤 健太郎 |
桓騎は元野盗団の首領です。
その野盗時代、1つの城邑を攻め落とした際、桓騎は自らの手で住人全員の首を切り落としていったという過去があり、それ故「首切り桓騎」という異名が付けられています。
残忍性の目立つ桓騎ですが、「白老へのたむけだ」と蒙驁将軍への忠誠心を見せるシーンや、全く戦の分かっていないオギコを「面白いから」という理由だけで千人将におく等、遊び心あるシーンも見られます。
桓騎を見る際、欠かせないのは他の隊とは異質な桓騎軍の存在です。
出れば何かしらの結果を残す桓騎軍ですが、元々はそれぞれ別の野盗団で、それを桓騎が1つ1つ取り入れていって構成されました。戦の天才とされる桓騎の戦法は、通常の型から外れているため、そういった基本の戦い方を知らない野盗団の方が上手く対応できているのかもしれませんね。
桓騎(かんき)の史実における情報、実在したのか
桓騎の史実における情報ですが、桓騎という将軍は実在したと確認されています。
ただ先述した、野盗団であった過去については確認されておらず、脚色が加えられている可能性もあります。
首切り桓騎の異名の由来である、大量斬首については、そういう出来事があったそうです。趙攻めの際、平陽の戦いにおいて、桓騎が敵将を破るとともに10万人を斬首したとされています。
ただ、詳しくは分かっていない人物で、史実上での、桓騎の最期については、李牧との戦にて戦死したとも、李牧との戦いの後亡命したとの説が混在しています。いずれにしても、作中にて、李牧が「桓騎の弱点が分かった」と発言していることから、この2人の戦いは史実通り実現される可能性が高いですね。
桓騎(かんき)の経歴、活躍
桓騎の経歴や活躍について紹介していきます。
桓騎の初登場は「山陽攻略編」
桓騎は山陽攻略編の19巻で初登場します。秦国の総大将、蒙驁将軍の副将での登場です。この戦で桓騎は大きく2つの戦果を上げます。
まずは魏軍の玄峰将軍を討ちます。
魏の介子坊を相手に桓騎はゲリラ戦を繰り広げつつ、そこで倒した者の目玉や耳を介子坊陣営に送りつけるという度の過ぎた精神攻撃を行っていました。それを分が悪いと見た玄峰が、介子坊に変わり指揮を取ったわけですが、桓騎はそれにも柔軟に対応しました。武の強い介子坊から軍略家の玄峰に将が替わったと知った桓騎は、敵の甲冑を身に付け、仲間数人と共に伝令部隊になりすまし、まんまと玄峰陣営の中に入り込みます。一瞬にして桓騎は玄峰の首をはねます。
簡単にやってのけたようではありますが、玄峰は廉頗四天王の1人であり、魏随一の軍略家である彼を失った魏はそれ以降の戦い方を大きく変える必要を強いられました。
2つ目は敵の総大将、白亀西を討った事です。
玄峰を討った後、姿をくらませていた桓騎は、自らが別機動隊4千を従え、魏本陣への侵入を果たしたのです。白亀西自体は置き大将的役割でしたが、この時、信を含む蒙驁軍が廉頗軍に圧倒的に押されていたことを考えると、桓騎のこの働きが無ければ、秦はこの戦に敗れていた可能性がおおいにありました。
桓騎の機転の利いた戦いぶり「合従軍編」
合従軍編にて、桓騎は、蒙驁、張唐とともに函谷関(かんこくかん)に配備されます。この配置について、蒙驁は桓騎のことを「秦国一機転が利く将」と称します。桓騎の函谷関における活躍はまさに機転を利かせたものでした。
魏が函谷関攻略のために作った井ラン車(せいらんしゃ)が函谷関に橋を架けます。想定していなかった張唐の持ち場はパニックに陥りますが、桓騎は次に自分の所に来た井ラン車に対処します。井ラン車に、咸陽の備蓄庫から大量に持ち出した油をかけ、火矢を放って、燃やすのです。まさに元野盗らしさの出た場面ですね。
井ラン車を利用して、もう1つ桓騎は大胆な策も出しました。今度は井ラン車に火を放ったと見せかけ、桓騎自らが少数精鋭の兵を連れ、魏,韓およそ15万の兵の中に飛び込んでいきました。混乱する隙に即座に魏の甲冑に着替え、魏の旗を掲げ戦うことなく韓の総大将、成恢の元へと向かったのです。毒に侵された自らの死に場所を、戦場に求めていた張唐は、桓騎のこの作戦があったからこそ、最後、成恢を討ち取ることを成しえます。
この戦いを通して、桓騎の武将としての才能を認めた張唐が、桓騎にさらなる高みを目指すことを約束させるシーンは数ある合従軍編の名シーンの1つです。最期、馬から落ちそうになる張唐を支えるという、桓騎の慈悲の心が見られた珍しい場面でもあります。
桓騎の怒り?弱点?「黒羊丘編」
桓騎が総大将となって戦うのが黒羊丘編です。
桓騎軍は飛信隊と合流するのですが、信に対し、「大人の戦いを覚えていけ」と言います。その言葉通り、桓騎は自身のやり方を前面に出してこの戦を勝利に導きます。それも当初予定していた被害を半分以下に抑えての勝利でした。
戦前、情報の薄かった紀彗が、この戦において脅威でありました。しかし、その紀彗が離眼城との深い関わりを持つ事を知った桓騎は、黒羊の村人を皆殺しに、骸のアーチを丘を占拠する紀彗の元へ送りつけたのです。そして、これと同じことを離眼城で行うと宣言しました。紀彗が離眼城を守りに行くということはつまり、黒羊丘を桓騎に明け渡すことを意味します。しかし、紀彗は離眼城へと向かいました。これにより、想定されていた消耗戦の丘取り合戦から一転して、終盤は戦わずして丘を奪うことに成功するのです。
黒羊丘編にて、初めて少しだけ言及されるのが桓騎の過去についてです。李牧や昌平君すら真似できないとされる戦い方、一体桓騎とは、何者なのか、と謎に包まれている中、桓騎の根っこにあるのが、「全てに対する怒り」であると、那貴が発言しています。何か特別な過去を持っている可能性が高いです。今後、より詳しく明かされる場面が来るのではないでしょうか。
また、先述しましたが、黒羊の戦いを見ていた李牧が、桓騎の弱点を見つけたと言及します。これも、ここでは詳しくは分かりませんでしたが、桓騎にとって今後の鍵を握る発言である可能性は高いです。この弱点が明かされる時、初めて桓騎が窮地に陥るのか、それとも、またも難なく切り抜けるのか、注目です。
桓騎(かんき)の名シーン
先述してきたように、桓騎が出てくる戦いはほとんど全て名シーンと言ってもよいです。その中でも大味なのが、黒羊丘編の戦い方でしょう。
当初、黒羊の戦いにおいて、最重要事項は、5つの丘をどう取るか、ということでした。これは桓騎軍参謀の摩論が飛信隊にも説明し、共通認識で動いていました。そのため、初日から如何に丘を趙軍より早く占拠できるかと、数多くの犠牲を払いながら、飛信隊と桓騎軍副官の雷土を筆頭に、ゼノウ一家、黒桜らが趙軍と激しい攻防をを繰り広げます。
3日目にして、ようやく秦側が丘を奪取するのに理想な状況になったのです。ここが黒羊の大一番となると、桓騎が次の一手をどう取るのか、その選択に注目が集まりました。しかし、桓騎は3日目、何もすることなくその日の戦を終えるのです。桓騎軍の幹部らも拍子抜けしてしまいますが、この肩透かしの結果は4日目の大きな結果につながります。
4日目、趙の総大将、慶舎が動くのですね。慶舎は「沈黙の狩人」と異名を付けられていて、本来は相手を動かし、自分の罠にはめる戦法を得意としているのですが、3日目の好機に対し、桓騎の気配を全く感じ取れなかったことに苛立ち、逆に桓騎に動かされる形になったのです。勿論、これは桓騎が予め、趙兵から聞き出した慶舎の戦い方を利用した作戦でした。慶舎を討つのは信ですが、完全に桓騎の作戦により生み出された戦果です。
これにより、秦側に勝利の流れが来たのですが、桓騎の次の指令は「丘を趙に明け渡せ」というものでした。流石に、この選択については、桓騎軍幹部らが、桓騎に対し珍しく反抗的でした。しかしこれは、先述しました、離眼城へ紀彗を向かわせる布石だったのですね。5日目にして、秦側の完全勝利が決定するのですから見事としか言いようがありません。
この黒羊の戦いの3日目から5日目の流れは、桓騎の中でも特に名シーンと言えるのではないでしょうか。
桓騎(かんき)のまとめ
桓騎の実力は、六将や李牧級と、作中でも度々言われていて、今後の秦国の運命を握る将軍の1人であることは間違いないでしょう。また、徐々に明かされていくであろう、桓騎の怒りの正体や、弱点等、今の所、伏線と予想されている情報も多いので、登場シーンにはいずれも注目です。
また、黒羊の戦いでは、衝突はありましたが、結果として飛信隊からすると、桓騎軍に現実を見せ付けられる形となったので、それを見返すチャンスはあるのか、桓騎と信の関係性にも着目してみるのもいいかもしれません。
無敗のまま鮮やかに勝つ姿も、その桓騎が追い詰められるような激しい展開もどちらも楽しみですね。