李牧です。趙の三大天で、作中では、秦国最大の敵と言ってもいいでしょう。
多くの秦の大将軍を破る李牧の戦の能力は今のところ最強クラスに位置しています。重要キャラであることは間違いありません。そのため史実の内容を含めても、今後の李牧について考察できる情報も多くあります。
ここでは李牧の作中での活躍と、史実の内容を中心に見ていきます。
李牧の基本情報
まずは李牧の基本情報について簡単に紹介します。
所属国 | 趙 |
地位 | 趙の三大天、宰相、軍師 |
使用武器 | 剣 |
初登場 | 13巻 |
13巻で初登場します。最初は、王騎と龐煖の戦を見学する野次馬のような立ち位置で登場するのですが、徐々に正体とその目的が明かされていき、今では、秦国最大の敵となって立ちはだかっています。
見た目はとても容姿端麗で、体は大きいですが、軍師ということもあってスマートです。
性格は穏やかで、平常時は飄々としているようにも見えます。けれども李牧は、合従軍を率いる場面もあるわけで、内に秘める熱い感情もあるでしょう。
戦においては、戦略を立て、指揮を執るのが中心ですが、戦場で剣を振るったり、信との一騎打ちのシーンもあり、武将としての一面もあります。信はこの李牧を、「知略と武勇を兼ね備えた化け物の類」と評します。
李牧の史実における情報
(画像は45巻、桓騎の弱点を見破るシーン)
李牧は史実でも登場する人物です。史実においても活躍したようですが、同時に悲劇的な最期も迎えるので、そのあたりを紹介します。
まず大きな活躍は匈奴を撃退することです。北方の守備を任されていた李牧は匈奴軍の撃退を命じられます。守備を徹底した籠城作戦を取った李牧は匈奴が攻めてくる度敗走を演出し、李牧軍に力がないという印象を匈奴に与えます。侮った匈奴は大軍で戦の畳みかけを狙いますが、李牧はそこを上手く利用して、予め左右に隠しておいた伏兵で横撃に出て匈奴軍を壊滅させます。これがきっかけで李牧の名が有名になりました。史実上でも、頭脳戦を得意としていたようですね。
これを機に、守備隊長から中央の将軍を任されるようになり、燕に侵攻したり、秦との戦でも勝利を納めます。ただ、作中にて大きな戦となった合従軍編については、史実上は李牧ではなく龐煖が率いたと記録されているようです。
一方で、作中でも再現されると予想されているのが、李牧が桓騎を破るということです。史実では桓騎は李牧との戦にて敗戦し、そのまま亡命したことになっているのです。そして、作中でも、黒羊丘編にて李牧が桓騎の「弱点」を見つけたと口にする場面があります。これが後に李牧が桓騎を討つ伏線となっている可能性は高いでしょう。
天下統一を目前とし常勝となる秦に対しても、李牧は土をつける等、史実でも無類の強さを発揮するのですが、李牧の最期は少々残念で、身内からの刺客に暗殺されるのです。王翦との戦を任された李牧ですが、王翦は趙王側近に賄賂を渡し、李牧の謀反の情報を捏造させるのです。これを信じた当時の趙王幽ボク王は、李牧を大将軍の地位から降ろそうとしますが、李牧は勿論納得できず、その命に応じません。これを見かねた幽ボク王は刺客を送り、李牧を暗殺してしまうのです。作中で信が、王騎を破った李牧を「越えなければいけない壁」と認識していることから、史実通りに李牧の最期が再現されるとすると、何とも意外な結末ですね。脚色が加わって、全く別の結末が用意されている可能性も大いにありますが、賄賂を渡したのが、勝利に手段を選ばない王翦ですから、そのまま再現されてもおかしくありませんね。いずれにしても史実では李牧の死をきっかけに趙国は大きく弱体化し、滅亡の一途を辿ります。これは作中でも変わりはないと思われます。
李牧のこれまでの活躍
突如現れ、王騎を破る
最初、13巻にて、王騎と龐煖の戦を見学するような形で登場した李牧ですが、15巻にて、なんと「趙の三大天」というのが発覚します。一方、戦の流れに嫌な予感を覚える王騎は、自分の知らない伏兵の存在を疑います。これは正に正しく、王都、咸陽にて、楊端和より、匈奴10万を討った趙軍の情報が得られるのです。これが李牧軍なのです。しかし、時既に遅く、李牧軍は王騎の予測を遥かに上回る速度で戦場に到着したのです。これは、李牧軍の騎馬の速度を王騎が読み間違えることを読んでの李牧の作戦でした。
王騎と龐煖の一騎打ちと思われた戦は、実は李牧が龐煖を利用する形で行われていたのですね。この戦にて王騎が戦死し、これをきっかけに李牧の名が広まります。
合従軍を率いる
紀元前242年、燕の劇辛を、同じく龐煖と共に破った李牧は、翌年の紀元前241年、中華全土を巻き込む大戦を起こします。これが合従軍編です。戦乱の世を見ても、合従軍を率いるというのは数える程しかなく、これだけで李牧の傑物ぶりが分かります。合従軍が攻めたのは秦です。
当初、函谷関を如何にして合従軍としては突破するのか、秦としては守り抜くのか、ここが焦点でした。けれども、大将軍を筆頭に各要所で、秦が脅威的な活躍を見せ、合従軍は函谷関を突破することはできませんでした。戦はそれで終わったかのように思われましたが、李牧は動いていました。それも、険路が多く外敵の侵入がまず考えられないとされる南道のルートを使っての侵攻で、秦国の虚を完全に突いていました。しかし、本能型の大将軍、麃公がこれに気付き、李牧を討ちに出ます。これを李牧は、流動という策を用い、麃公を孤立無援の形にして、そこに龐煖を出陣させます。まさに王騎を討った時と同じような構図でした。これにより、麃公は戦死することとなり、李牧としては王騎に続き、麃公も策にハメたことになります。まさに秦国にとって最も脅威的な人物ですね。
しかし、この間に咸陽にて政が動き、「サイ」を最終防衛線とし、守り抜こうと考えます。李牧のこの合従軍編における敗因として、最も直接的だったものが、この「サイ」で秦国の粘り腰だったでしょう。政の出現から秦が息を吹き返したように、力を発揮し出し、それに手こずっている間に、山の民の援軍が到着したのでした。さらには龐煖との一騎打ちで信が互角以上の戦いをする等、これらの戦の流れはもはや李牧の誤算などではなく運命的なものを感じさせる展開でした。よって李牧自身も「なるべくしてなっている」と合従軍の敗戦の流れを冷静に見ていました。結果「サイ」からの撤退を余儀なくされ、李牧が指揮した合従軍は敗戦となりました。これにより、李牧は宰相の地位を退くこととなります。
王翦との直接対決、朱海平原編
(画像は、本能型の戦略を取り入れた布陣で秦軍を圧倒する李牧軍)
45巻、紀元前237年に李牧が秦に来朝します。「天下統一の夢をあきらめて頂きたい」という衝撃的な発言を政に放つとともに、「七国同盟」を提案しますが、政は、その同盟では百年先も平安は保たないとし、秦が武力を以て中華を統一すると言い放ちます。宣戦布告となったこの発言に、李牧は今いる秦将では自分を討つことはできないと言い、秦を去ります。普段クールな李牧が熱くなったこのシーンは印象的ではないでしょうか。ここは李牧が本気で七国同盟を提案しに来たというよりは、趙と秦の後戻りできない戦争が正式に始まるきっかけを作りにきたようなシーンですね。この流れにより、秦と趙の全面戦争が始まりました。
秦は、王翦を総大将とする、桓騎と楊端和の連合軍で侵攻し、これを李牧は如何に撃退するのかという戦になります。秦国は当初、昌平君らの戦略で動いていました。しかし、攻略したはずの列尾城が、極端に守りにくい造りになっていることに王翦は気づきます。列尾城を補給線とするのが、昌平君の戦略だったので、早くも作戦の変更を余儀なくされました。勿論これは李牧の策略でした。王都圏に攻め入る敵にあえて守り難い城を落とさせ、後でそれを取り返し敵を包囲することで、孤立無援の逃げ場の無い状況を作るという、一見守りに見え、その実敵を殲滅させる程の殺傷力のある策略です。しかし、王翦がギョウ攻めという大胆な策に出て、この危機を回避します。
次は朱海平原での戦となりますが、秦軍左翼にて、王翦の放った蒙恬による別機動隊が猛威を振るい、趙右翼は初日からピンチに陥りました。これを一気に覆らせたのが、李牧自身が別機動隊として動くというものでした。絶対的な自信の元、この作戦を実行し、見事、王翦の片腕、麻鉱将軍を討ちます。総大将が敵陣に入り込むなど、誰も想像しないため、実際に李牧の出現を認識できた秦兵は少なく、麻鉱の討ち死にだけが軍に広まり、士気は急低下。流れは趙軍に向きました。けれども二日目以降、蒙恬の予想以上の活躍により、壊滅させるには至れませんでした。
戦は互角に進められていたと思われましたが、趙は王翦の兵糧攻めにより、窮地に陥りました。李牧からすると、完全に策にハメられた形となり、これは作中でもかなり珍しいシーンでしょう。即、王翦軍との全面対決に入りましたが、ここで再び李牧の力が光ります。大鶴という超攻撃型布陣を引いた李牧軍に王翦軍にの攻撃は全く通用しなくなります。李牧軍が「起こり」を捉えて戦う本能型の戦略を使っていることが肝でした。もともと知略型の李牧軍がこの戦略を使えたのは先述しました合従軍編にて麃公と戦った経験からでした。これにより李牧は知略と本能の異種混合隊を作り上げていたのです。これには王翦も李牧を自分と匹敵する「怪物」と表現しています。
李牧の名シーン
李牧の名シーンは数多くありますが、ここまで、王騎に続き麃公と秦国の大将軍且つ人気を集めるキャラクターを死に陥れているにも関わらず、敵としてそこまで「悪」のイメージが無いのはやはり人間性にあるでしょう。李牧は作中でも、決してむやみに死人を出しません。それは敵に対しても同じで、信念とも思える程それを徹底しています。それらが伺える場面を李牧のセリフと合わせ、紹介します。
「亡骸を辱めるよりこれ以上味方を出さぬことの方が大事ではないのか!」
これは16巻で出たセリフです。王騎軍を破った李牧でしたが、敗走する王騎軍を追撃しませんでした。これに反発した斉明に対し、放った言葉ですね。王騎軍が怒りに燃え反撃してくれば趙側にも多大な被害が出ることを説明し、目的はあくまで王騎の死だけだと言いました。そして「無意味な死だけは絶対に許しません」と強調します。また、王騎軍の反撃について触れてはいましたが、実際は王騎という大将軍に敬意を払う姿勢が強く感じられます。初登場で王騎を戦死に追いやった李牧でしたが、このシーンで李牧のイメージは悪いものにならなかったのではないでしょうか。李牧は長く登場するキャラクターだけに、読者の共感を得られる信念を持っていることも大事だったのでしょう。
「私に子供を殺させるな」
30巻にて、麃公に対し、心の中で訴える言葉ですね。流動で追い込まれた麃公は自分の状況を完全に死地と悟っていました。そこへ信が向かってくるのですが、百騎も無い寡兵でした。駆け付けたところで先は見えています。それを以て李牧が上の言葉を思ったのですね。言葉に出さない故に切実な思いが伝わってきます。
「趙国を滅ぼすことは私が決してさせませんよ」
56巻、王翦に対し放つセリフです。王翦が、現趙王の問題から李牧の置かれた状況を報われないとし、二人で国を作ることを発言したことに対し李牧が反論したシーンです。自分の双肩に国の命運がかかっているからこそ、命を懸けて戦うことを大義として、この発言につながりました。また、この途中に「ある時から守るものがあった方が燃えるようになった」と言っています。この「ある時」というのが伏線となっているのでしょうか。己を最上に置いた王翦と、対極的な価値観が明らかになり、李牧の名シーンの一つでしょう。
李牧のまとめ
李牧は秦国からすると強大な敵の立場となっていますが、作中での言動から人格者であると言えます。なので人気を集めるキャラクターの一人ですね。作中でも今後まだ登場が続くことが予想されますが、後は史実がどの程度まで再現されるのかですね。史実での役割は作中に比べ、より軍略家の方の比重が大きかったようなので、将軍としての存在感の大きい作中ではもっと別の結末が用意されていてもおかしくありませんね。
また、桓騎との戦や、無意味に人を殺さない信念を持ったきっかけ、龐煖との20年前に交わした約束等、今後明らかにされていくであろう伏線もあるため、引き続き、常に注目の欠かせないキャラクターでしょう。