【キングダム】蒙恬(もうてん)は史実に存在した?声優や名言も紹介!

蒙恬です。王賁とともに大将軍への道を切磋琢磨する武将です。

祖父は蒙驁、父に蒙武というのも作中で度々触れられていて有名ですね。

武将としての実力だけでなく容姿や、性格も加えて、キングダムの中でも上位の人気キャラではないでしょうか。

ここでは蒙恬の作中での活躍と史実における情報を紹介していきます。

蒙恬の基本情報

【キングダム】蒙恬(もうてん)は史実に存在した?声優や名言も紹介!

『キングダム』(C)原 泰久/集英社

まずは蒙恬の基本情報について簡単に紹介します。

 

17巻で初登場です。飛信隊と玉鳳隊が手柄を争う中、3つ目の特殊三百人隊として登場するのが、蒙恬率いる楽華隊です。おっとりした性格で、信と王賁がお互いを意識してピリピリとする中、いつも1人飄々としているのが蒙恬の特徴です。この蒙恬の性格は、以降の戦でも度々良い効果をもたらします。

先述しました、家系についてですが、蒙驁、蒙武の巨体からは想像もできないほど、蒙恬はスラッとした体型をしていて、顔立ちも中性的な感じです。

武将としての蒙恬は楽華隊を率いますが、戦場では自分の背を見せ隊の士気を上げるなど、普段の雰囲気とは打って変わって、そこは非凡な武才の血を濃く受け継いでいることが分かります。

蒙恬の史実における情報

蒙恬は史実でも登場する武将です。

紀元前224年には、信とともに楚を攻め入ります。蒙恬は副将としての出陣でした。これは20万という大軍を率いての戦でしたが、失敗に終わります。けれども、蒙家の長子という血筋も手伝って、蒙恬は将軍に任命されます。作中では同世代として活躍している、信、王賁、蒙恬ですが、史実では、3人の中では、蒙恬がかなり遅れて将軍となったようです。

将軍となった後、信、王賁とともに斉を降伏させます。これにより天下統一が為されるわけで、蒙恬は天下統一に携わった武将の1人といえるでしょう。ただ、や王賁らが自ら軍を率いて国を滅亡させた記録と比べると、蒙恬の武将としての活躍はどちらかというと、補佐的な要素が強かったのかもしれません。それでも、紀元前215年には、30万の兵を率いて匈奴との戦に勝利する記録もあり、名将であったことは確かでしょう。

蒙恬の武将としての記録に印象強いものが少ないのは、蒙恬が元は文官であったことも関係しているでしょう。また斉を侵略した後も、内史に任命されたり、匈奴との戦の後は、万里の長城の築城を任されたりと、武よりも知で重宝されたことが分かります。これらの要素は蒙恬が作中で見せる非凡な知略にも反映されているのではないでしょうか。

蒙恬の最期に関しては、自害した記録が残されています。万里の長城の築城に着手しているところ、始皇帝の嫡男、扶蘇が蒙恬の元に送られていきます。始皇帝の死後、扶蘇と仲の悪かった趙高李斯は偽造の遺言状を作成し、蒙恬の元に送ります。それは扶蘇と蒙恬の自害を求める内容でした。扶蘇はこれに従いすぐに命を絶ち、これに納得できなかった蒙恬も、2世皇帝となった胡亥から再び死を命じられ、止む無く命を絶ったようです。作中のキャラクターからは想像したくないほどの不憫な最期を迎えてしまうようですね。

蒙恬のこれまでの活躍

山陽攻略編での活躍

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『キングダム』(C)原 泰久/集英社

作中で初めて楽華隊、飛信隊、玉鳳隊の3隊が同じ戦に参加したのが、対魏戦でした。飛信隊、玉鳳隊は個々で力を発揮していましたが、廉頗四天王の、玄峰輪虎に破れる形となりました。この時、蒙恬が大きな活躍をしました。信、王賁を呼び、3人で輪虎を討つ作戦を立てたのです。信と王賁は互いに意識し合いとても協力できる関係ではなかった為、蒙恬のこの働きは非常に良い緩衝材となって機能しました。

さらに蒙恬の器量の大きさが計れるのが、その作戦において、自らの楽華隊が潰れ役を買って出たことです。輪虎の強さは大将軍並みで言わずもがな知られていたのですが、その輪虎を守る輪虎兵も強力で、まともにぶつかれば輪虎にすらたどり着けない状況だったのです。これを蒙恬は楽華隊が輪虎兵の兵力を削ぎ、飛信隊と玉鳳隊の2隊で輪虎を討つ作戦を立てたのです。輪虎隊五千に対し、千にも満たない兵力でぶつかるわけですから、間違いなく楽華隊に、大きな被害が想定されます。その上、将軍首を同世代の信、王賁に譲る形となるのですから、蒙恬が自分ではなく、国の勝利の為に戦ができる人物であることが分かります。

合従軍編での活躍

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『キングダム』(C)原 泰久/集英社

(画像は蒙武を狙う禍エンを食い止めようとする蒙恬)

合従軍編では騰と蒙武の元で活躍します。

楚第一軍、臨武君の軍と対戦した際、鱗坊を討ち取った楚の弓使い、白麗を戦場の中で危険な存在と判断した蒙恬は真っ先に白麗を討ちに向かいます。不意打ちは成功したのですが、項翼に阻まれ、馬から落ちた蒙恬は逆に劣勢となってしまいます。そこを王賁に救われる形となりましたが、蒙恬のアクションがなければ、白麗の弓により、もっと秦軍は主力の武将を失っていた可能性がありました。

また、禍燐の軍に対し、騰は蒙恬と王賁を急遽五千人将に抜擢する場面もありました。その時は二千人将だった蒙恬ですが、三千増えた兵も見事に率いて、騰軍本陣の危機脱出に貢献しました。その流れの中で、禍燐軍から蒙武を討ちに出た兵を見逃さなかった蒙恬は、父、蒙武を救うため、持ち場を離れ援護に出ました。背後から蒙武を狙う禍燐軍の禍エンを止めました。しかし、その戦いで、吹き飛ばされた蒙恬は一騎打ちする汗明と蒙武の間に入ってしまったのです。そこを汗明に斬られ重傷を負います。蒙恬の父を想う気持ちが表れた場面でした。

蒙恬の名言・名シーン

【キングダム】蒙恬(もうてん)は史実に存在した?声優や名言も紹介!

『キングダム』(C)原 泰久/集英社

蒙恬のステータスとして最も大きなものがやはりその判断力、冷静に戦況を見る能力ではないでしょうか。蒙恬は信らと同じ、三百人将として登場はしましたが、その時点で、功績としては千人将クラスにはあったのです。これは祖父である蒙驁が孫である蒙恬をより厳しく鍛えるために、足踏みさせていたのですね。その経験値からか、蒙恬は信、王賁と比べ、目立った武功は少ないですが、戦場においての冷静な対応力は頭1つ抜けたものを見せています。

中でも名シーンとなるのが、ギョウ攻略編における活躍でしょう。朱海平原にて、王翦軍の左翼として第一陣を飾るのが楽華隊でしたが、敵三万に対し、僅か五千と、おとりのような存在に見えました。実際、楽華隊が紀彗軍を引き付け、王翦の片腕である麻鉱が波状攻撃を仕掛けるというものでした。この波状攻撃への流れを蒙恬は言われる前に分かっていたのです。さらに紀彗の軍力から、麻鉱軍が苦戦したときに備え、楽華隊五千が主攻に化けることのできるよう位置取ることまで見通せていたのです。これは王翦が戦前に立てた戦略で、完全に紀彗ははめられた形となりましたが、それを言葉無しに実行した蒙恬も王翦と同じ盤面が見えていたということになります。

蒙恬の軍略の才は作中でも度々高く評価されていますが、最も顕著に見られたのがこのシーンでしょう。戦前から自分の仕事を全て把握できた蒙恬を見て、王翦が自らの側近に引き抜こうとしたほどでした。

さらに、秦左翼は麻鉱を失いました。これは李牧が流れを趙に寄せる決定打として起こしたもので、麻鉱軍が軸の左翼は壊滅状態に陥りました。初日から戦を大きく左右する出来事でしたが、ここで蒙恬が再び機能します。飛信隊の力も借り、自ら指揮を取りつつ、麻鉱が死んでもなお麻鉱の旗を掲げることで、麻鉱軍を復活させたのです。これにより翌日以降も麻鉱軍の戦力を残すことができたのです。つまり、李牧の作戦を失敗に終わらせたことになります。蒙恬はこの活躍で、臨時的に将軍に格上げされることになりました。大将軍への夢がより現実的になったともいえるような蒙恬の名シーンです。

蒙恬のまとめ

【キングダム】蒙恬(もうてん)は史実に存在した?声優や名言も紹介!

『キングダム』(C)原 泰久/集英社

蒙恬は武将としては勿論、高貴な生まれにも関わらず下僕出身の信にもすぐに打ち解けて、人間性も非常に良いキャラクターですね。

現時点では、信や王賁と比べると、派手な活躍は少ないですが、ギョウ攻略編では臨時で将軍を任されるなど、大将軍たちも認め始めている蒙恬の才能が、よりフューチャーされるシーンが出てくると良いですね。

史実を踏まえても、今後も信らとともに大将軍への道を進んでいくのが楽しみですね。