王賁です。信と同じく次代の大将軍を目指しています。
王騎一族の総本家というエリート出身ということもあり、登場した頃はヒール役を思わせる上から目線の厳しい口調が目立ちましたが、物語が進むにつれ、並々ならぬ努力家な一面が垣間見え始め、人間味が出てきたキャラクターです。
作中では信と同じく三百将から登場し、登場する度に成長が窺い知れるキャラクターです。ここでは王賁のこれまでの活躍と名シーンを紹介します。
王賁(おうほん)の基本情報
まずは王賁の基本情報について簡単に紹介します。
所属国 | 秦 |
地位 | 三百将→千人将→三千人将→五千人将 |
使用武器 | 槍 |
初登場 | 17巻 |
容姿端麗、クールな言動、戦における活躍から人気を集めているのではないでしょうか。
立ち位置は信のライバル的存在と言えます。
性格は、王族出身が故か、非常にプライドが高く、この性格から先ず敵を前にして退くという選択肢を持ちません。何にでも向かっていく姿勢を見せるという点では信と同じですね。
王賁が指揮する軍は、軍事教育を施されたエリート集団で構成される玉鳳隊です。王賁への忠誠心が確立されており、王賁が背を見せ戦う時、並外れた強さを発揮します。
武器は槍を使用して、槍術に限れば秦国1,2を争うのではないでしょうか。
また、王翦の息子としても有名ですね。
王賁(おうほん)の史実における情報
(画像は王翦に槍の構えを指導される王賁。史実では二人の仲違いに関する記述はないようです)
王賁は史実でも登場する人物です。
王翦の息子というのは作中と同じで、王翦と同じく史実上では戦に負けた記録が無いようです。作中のような親子関係の歪みが無かったようで、王翦の堅実な兵法が、スムーズな形で受け継がれていたのかもしれません。
ここも作中で再現されている通り、信や、蒙恬と並んで活躍します。
王賁の史実における大きな活躍は、魏を滅ぼしたということです。これは王賁が1人で行った戦のようで、功績としては非常に価値があるようです。しかも、この戦での作戦が大胆なもので、黄河の水をせき止め都を包囲するという、水攻めを行ったそうです。大規模なだけ、知力とそれを実行できる武才を兼ね備えていたようですね。
王賁(おうほん)のこれまでの活躍
王賁のこれまでの活躍についてまとめます。
初登場、17巻
初登場は17巻です。当時歩兵隊だった飛信隊や、蒙恬率いる楽華隊と同じ持ち場で競合することとなります。この登場の際は、信に対し上から目線の厳しい言葉を数多く放つため良いイメージはあまり持てませんね。
ここで、王賁が玉鳳隊という特殊部隊を率いていること、王家の総本家を継ぐ人物であること、信と同じく将軍を目指していることなど、ある程度のパーソナルデータが得られます。
着実と昇格していく「山陽攻略編」「合従軍編」
始め、三百将として登場した王賁ですが、「山陽攻略編」では蒙驁軍にて、急遽千人将に抜擢。輪虎を討つという最大級の武功こそ信に譲りますが、魏随一の軍略家、玄峰の兵法にも即座に対応したり、初めて飛信隊、楽華隊との連携というこれまでの王賁には無かった、他者と協力する姿勢が見られたりと、その活躍から正式に千人将に昇格します。
その後二千人将に昇格した王賁は「合従軍編」にて、騰と蒙武の連合軍に配置されます。ここでも、騰による急遽の抜擢から、一時的に蒙恬とともに、五千の兵を動かすこととなります。倍以上に増えた隊も見事に指揮して、戦局のカギを握る責任を全うし、騰軍の危機脱出に貢献します。これにより、合従軍編の後、三千人将に昇格します。
正統な王家の継承者として課される重圧
王賁が見せる、他人に対する厳しい一面は、何も自分を棚に上げてのことではありません。それが「著ヨウ編」にて明らかになります。王賁の対峙した魏火龍、紫伯との槍術の差は明白でした。手も足も出せぬ一方的な戦いになったのですが、その翌日王賁は紫伯を討ちます。この流れの中で、王賁の心中が明かされます。王家の正統な後継者としての自覚です。大将軍になるというのは望みであったり夢への一歩ではなく、自分に課された責務だという自覚が、この時点で王賁にはあったのです。だから逃げることは許されない、困難を乗り越えることが絶対条件になっている、そんな重圧の中で王賁は常に戦っていたのです。
同じ大将軍を目指す信とライバル関係と見られますが、ベクトルは同じでも、根本の部分では王賁は全く別のものを抱えていたと分かります。このバックボーンを知り、改めて王賁を見てみるのもより興味深いかもしれません。
王賁(おうほん)の名シーン
(画像1枚目は王賁が作戦を言い渡すシーン、2枚目は紫伯と槍を交えるシーン)
王賁の名シーンと言えば、「著ヨウ編」が代表的です。合従軍戦後書きかえられた国境から、秦が中華に進出するためには、著ヨウ攻略は外せないものでありました。秦は騰の部隊がその責務を負い、侵攻を続けていましたが、対する魏が呉鳳明を派遣して戦力を大幅に強化してきます。これを見た騰が、援軍として呼んだのが飛信隊と玉鳳隊でした。
呉鳳明の布陣は一見隙が無いように思えました。現に騰は王翦に援軍を要請しようとしていたのですが、それを王賁は止めるのです。これは、親子関係の確執から来るものもありましたが、王翦の援軍によって変わる戦局が最終的に秦が趙魏両国を相手にしなければいけないことになるという未来を想定してのものでした。さらに、別の突破口も提示しました。三点同日同刻撃破というものです。騰を含め、その場には河了貂や羌瘣もいたにも関わらず、王賁のこの戦略で動くこととなります。父親譲りの知将としての一面が光った名シーンでしょう。
それでも「著ヨウ編」での王賁の1番の名シーンは魏火龍、紫伯との死闘でしょう。中華最強の槍使いと言っても過言ではない紫伯に対し、王賁は「龍指」「龍巣」を繰り出すも、初戦、圧倒的な力の前に破れます。撤退を余儀なくされますが、王賁は次を見ていました。玉鳳隊が退くというのに、自ら殿を務めたのが王賁だったのです。翌日紫伯を討つために、紫伯の槍を見ておきたかったのですね。王賁はここで紫伯に対する違和感の正体に気付きます。
そして紫伯との2度目の対戦にて、王賁は初戦と打って変わって互角の戦いを見せるのです。僅か1日で紫伯の槍を研究し、「型」で対応したのです。さらに初戦で気付いた紫伯の弱点、「生に対する拒絶」、そこから生まれる、「急所を守るという本能の欠如」、ここを王賁は攻め、最後紫伯を一突きします。この戦いにより、王賁の槍術が中華において1,2を争うレベルにあることが分かります。
この紫伯戦では、先述しました、王賁の責務に対する覚悟も分かることとなります。なのでこの「著ヨウ編」にて王賁を好きになった読者も多いのではないでしょうか。
王賁(おうほん)のまとめ
(画像は王賁の得意技、「龍指」を繰り出す場面)
王賁は今後、信や蒙恬らとお互いを刺激し合い、武功を重ねていくのではないでしょうか。「ギョウ攻略編」にて、討たれるという話題がありましたが、重傷を負ったというわけで、死亡したわけではありません。物語的にも史実を見ても、この段階で王賁がいなくなるというのは考え辛いです。
また、王翦との確執も王賁には常に絡んできています。王賁の地位が上がるに連れ、嫌でも顔を合わせる時が来るかもしれません。どのように解消されるのか気になりますね。
隊を覚醒させたり、信らとの共闘もスムーズになりつつあり、確実に将軍への道を歩んでいる王賁の今後に目が離せません。