王翦です。秦国の大将軍として、作中では登場する度に活躍する武将です。
序盤から登場しているのですが、未だ感情を表にする場面がほとんど描かれておらず、ミステリアスなキャラクターでもあります。
秦の六将に近いともされ、最強クラスの将軍に分類される王翦ですが、史実でもその活躍は見事です。ここでは王翦のこれまでの作中における活躍と史実における功績をそれぞれ見ていきます。
王翦の基本情報
まずは、王翦の基本情報について簡単に紹介します。
所属国 | 秦 |
地位 | 大将軍 |
使用武器 | 矛 |
初登場 | 19巻 |
声優 | 堀内賢雄 |
王翦の見た目の特徴は、仮面でしょう。これが不気味さを演出していて、まだ素顔は明かされていません。
また、王賁の父親であることが有名ですね。ただ、親子関係はあまり円滑ではありません。
性格としては、冷静沈着、無駄な事は一切せず、戦に勝つのであれば、手段は選ばず最短ルートで片付けるような、そんな人物です。
王翦の史実における情報
王翦は史実でも登場した人物のようです。加えて、史実上でも秦国にとってかなり重要な役割を果たしているため、それを紹介していきます。
まず、趙のギョウ、アツ与を落とします。趙はこれにより防御力の落ちることとなり、滅亡へと向かいます。その後、燕との大戦にも勝利。これらだけでも十分な功績ですが、王翦の活躍で、1番多く語られているのが「項燕の戦い」です。このとき既に老齢に差し掛かっていた王翦ですが、政に、「楚を落とすのには兵はどの程度必要か」と問われた際、「60万」と答えます。一方で、政が李信に同じ質問をすると、李信は「20万」と答えます。政は李信を信用し、20万の兵で楚を攻めますが、あえなく失敗。次に60万の兵を王翦に任せると、王翦は見事に楚を討ちます。首都まで陥落させ、滅亡にまで追い込みました。作中では「危険人物」として見られている王翦ですが、史実を見ると天下統一に欠かせないはたらきをしたのが分かります。
作中でも頭脳戦に強く、慎重な性格ですが、それは史実通りなようで、楚を討つために60万の兵が与えられた際、王翦は「褒美に土地をくれ」と政に頼むのです。これは自分に反乱の意思が無いことを暗に伝えるためだったとされています。謀反の疑いで、処されることを想定しての予防線だったようです。
史実の情報を見ると、今後の王翦の出番が期待できますね。
王翦のこれまでの活躍
勝つ戦以外はしない
王翦が初めて戦に参加するシーンは、廉頗率いる魏軍と蒙驁率いる秦軍の対戦においてです。ここで王翦は、蒙驁将軍の副官として登場するのです。
秦軍左翼を任された王翦ですが、対峙した廉頗四天王の1人、姜燕に対し見事に軍略で勝り、囲地を奪います。けれどもここで登場したのが、廉頗でした。廉頗は王翦の動きを読んでいたのですね。最高潮に高まった士気から、ここで王翦がどう反撃の手を撃つのか、廉頗は期待して構えたのですが、王翦は全軍退却の指令を出したのです。この時に、自ら「私は絶対に勝つ戦以外興味は無い」と口にします。
肩透かしを食らった廉頗でしたが、この王翦の判断を、かつての六将白起を思い出させると評します。
随所に見られる王翦の野望
王翦は、秦国側としては非常に頼りになる将軍ですが、一方で、思想を危険視されている場面も目立ちます。というのも、王翦は自らが国王になるという野望を持っているのです。これにより、他の武将には見られない行動を取ります。
まずは自分の保身を最優先すること。先述した廉頗と対峙した際、退却した王翦は戦中に築城した天然の砦に籠城します。これにより廉頗は王翦を討てなくなりますが、逆に王翦も城から動けません。蒙驁軍、ひいては秦国の勝利を考えた時、この判断には致命的な欠陥があると、廉頗は王翦の本質的な部分に疑問を呈します。
さらに、もう1つが敵のスカウトです。敵国の将を追い詰めた際、王翦自らが軍に勧誘する場面がいくつかあります。戦中にも関わらず、自分の国の戦力の底上げを図るという行為には、王翦の野望に対する異様な執着心が伺えます。
これらから秦国は王翦に対し、未だ絶対的な「信」を置けずにいるのです。
秦国の危機を救う王翦
合従軍編は、王翦の実力が改めて発揮されます。函谷関の裏を守る王翦は、燕軍総大将オルドと対峙します。山岳族の王であるオルドは、山読みの能力に突出しているため、山間部の戦いはオルド優位に進められているように見えました。オルドが王翦軍の心臓部を見抜き、主攻隊を送ると、王翦は即座に退却、行方をくらませます。廉頗戦の時のように守りに入ったように思えたところ、これは王翦の作戦だったのですね。この展開を先読みしていた王翦は予め、隊を山間部に伏せていたのです。オルド軍の背後を取り、猛攻、主力を奪います。
山という環境のハンデを背負いながら、オルドをハメるわけですから、これだけでも王翦の並外れた軍略が伺えますが、ここからさらに活躍します。再び、王翦軍はオルドの視界から消えます。1度背後を取られたオルドはもう簡単には動けないことを読み、何と、王翦は持ち場を放置してそのまま函谷関の援護に向かうのです。これが見事に嵌ります。函谷関が楚軍に裏を取られていたのです。大戦の最大の要所が危機に陥ったタイミングで、王翦の援軍が登場するわけです。すぐさま土地を取り返し、危機を救います。まさに秦国の命運を左右する活躍でした。
王翦の名シーン
(画像は敵兵に囲まれている中、軍略を練る王翦)
王翦の名シーンは数多くありますが、中でも「ギョウ攻略編」は王翦が総大将として出陣するわけで、名シーンが盛り込まれています。
軍師として唯一六将に名を連ねた胡傷が、王翦を「軍略の才だけで六将の席に割り込んでこれる逸材」と評した過去があり、昌平君は王翦に総大将を任せるのです。
昌平君の戦略としては、当初、列尾城を落とし、そこを補給線として確保して王都、邯鄲を攻めるのが戦略でしたが、列尾城には李牧のある仕掛けが施されていました。それは意図的に弱く作ることにより、敵に奪われても奪い返しやすくするというものでした。これに気付いた王翦は、昌平君の戦略を棄て、自ら作戦を組みます。
ここが名シーンです。列尾を落とされる前に、全軍で趙の第二都市、ギョウを落とすことは可能かどうか、王翦は自ら見に行くのですが、そこでギョウが完璧な城であることを知ります。打ち落とせないと悟るやいなや、その場で軍略を練るのです。王都圏内ですから、すぐに趙兵に見つかります。けれども王翦は敵を亜光に任せ、戦いのど真ん中で計略をめぐらすのですね。この光景は印象的ではないでしょうか。
そうして出た作戦がなんと、趙が秦に仕掛けていた兵糧攻めを、今度はギョウに趙の難民を集め、兵糧攻めで返すというものでした。つまり、兵糧攻め合戦です。この作戦は、敵対する李牧も虚を突かれる形となり、味方である桓騎すらも「ぶっ飛んでる」と評します。戦局は一任されていましたが、開始序盤で、ここまで戦略を変化させるのは予想外で、この柔軟性こそ、王翦の軍才が光ったシーンではないでしょうか。
軍略以外でも名シーンがあります。王翦軍が李牧軍と直接対峙した際です。李牧が、合従軍戦で麃公と手を合わせた経験のみで、本能型の戦法を自軍に取り入れ、本能と知略の異種混合軍を作り上げていたのです。それに気付いた王翦は、「認めざるを得ぬな李牧、私と同じ怪物と」と口にします。これは名言ですね。ここからさらに凄いのが、李牧を見て、王翦も本能型の戦い方をすぐに取り入れ始めることです。まさに三大天、六将級の戦ですね。そこから、王翦と李牧が直接対峙する状況ができるのですが、ここで王翦が口にしたのがなんと、李牧の勧誘です。先述しましたように、王翦には国王になる野心があります。新しい国を作るにあたり、李牧という最強の味方を手に入れようと誘うわけですね。これを総大将同士の立場でも行うわけですから常軌を逸してますね。
「ギョウ攻略編」の王翦の言動は、多くにおいて強いインパクトを残しているのではないでしょうか。
王翦のまとめ
王翦はその野心や、味方に向ける冷酷な目線から、「危険人物」と称されることが多いのが事実です。
現に李牧が「この場にいる誰よりも愚かな人物だ」と口にしたり、廉頗から将軍としての本質を疑われている場面があります。
けれども、作中では未だ無敗を誇っていますし、同じく六将級とされている桓騎からも一目を置かれています。何より、史実における活躍を再現するならば、秦国にとって欠かせない将軍であると言えます。
また、王賁が実子ではないのか、今後の王賁との関係性や、昌平君にした頼み事等、まだこれから分かっていくであろうことも多くあるので、そこも楽しみですね。