【キングダム】張唐(ちょうとう) 将軍は最後もかっこいい!名言を紹介!

嬴政(後の始皇帝)の中華統一を題材にした「キングダム」では、嬴政の曽祖父の戦神昭王時代の六大将軍 白起・司馬錯・王齕・胡傷・王騎の陰に隠れ時代に輝けなかった将軍 張唐。

主役であるの初陣の時の将軍麃公は昭王より何度も招聘されていたと自ら語っています(ことごとく無視したと言っています)が、張唐は蒙豪と共に戦歴では六代将軍と並ぶはずですが表に出ることはなかったと言っています。

この記事では、そのように六代将軍の陰に隠れながらも秦最大の国家存亡の危機と言える5カ国からなる合従軍との戦いで、国門函谷関の守備を託された将軍張唐の名シーンを解説していきます。

張唐(ちょうとう)の基本情報

張唐について、簡単に紹介しておきます。

【キングダム】張唐(ちょうとう) 将軍は最後もかっこいい!名言を紹介!

『キングダム』(C)原 泰久/集英社

張唐が初登場したのは25巻冒頭の楚軍侵攻時に、南部防衛の為に呂不韋に派遣されており、その侵攻を阻止するため防衛線を封鎖に奔走する形で登場しています。

蒙武と共に対応に当たっておりますが、その中間を突破されています。が率いる王騎残党軍5千がその侵攻を阻止すべく登場します。

そして、秦軍総司令昌平君に咸陽へ招集されて本格的に登場します。

その場には秦国の名だたる将軍が全員揃っています。蒙豪、蒙武、麃公、騰、王翦桓騎、そして、張唐、勢揃いしています。

その後、国門函谷関に蒙豪、桓騎と共に入城して、国門守備に付いています。

この合従軍との戦いが最後の戦いとなるのです。

張唐(ちょうとう)の史実での情報・実在したかどうか

張唐は実際に史実ではどのような将軍だったのでしょうか。

史実によれば、中国戦国時代末期の将軍で、昭襄王(戦神昭王)・始皇帝に使えた将軍となっています。

将軍としての経歴

紀元前258年(昭襄王49年始皇帝即位12年前)10月、張唐は魏を攻めています。翌年、鄭を攻め落としています。その後、邯鄲を攻め落とせず合流した王齕を従え、寧新中を攻め落としています。将軍としてかなり活躍をしていたように思われます。

政治家としての経歴

秦は呂不韋4柱の一人剛成君蔡沢を燕に対する使者とし燕との同盟を画策します。3年後。燕は太子丹を人質として派遣しています。

そして、秦は張唐を燕の宰相として派遣しようとしましたが、張唐は文進候呂不韋の説得を拒絶し燕に行こうとしませんでした。

しかし、呂不韋に使えていた甘羅(甘茂の孫)の説得により意を翻し、燕に行く準備をしました。しかし、こののち甘羅が趙におもむいて秦趙間の同盟を取り計らい、趙と燕と戦わせる工作を行ったため、趙は秦に5城を割譲し、秦は燕に太子を返しました。(『史記』樗里子甘茂列伝)との、記述があります。

史記の中では武人以外に政治家としての面も記されており、六将の陰に隠れていたとありますが、政治家としては逆に一目を枯れる存在だったのではないかと思われます。

キングダムに描かれている内容は原先生により脚色された部分が多いように思われます。

どちらにしても実在した張唐はかなり活躍をした人物だったことは間違い無いように思います。

張唐(ちょうとう)の来歴と活躍

張唐の来歴と活躍について振り返っていきます。張唐は合従軍との戦いの中でのみ登場いたします。

張唐の初登場は25巻の冒頭「超大国(楚)の侵攻」

先述したように、張唐の初登場は25巻冒頭です。

呂不韋の指示により楚方面前線に派遣されており、合従軍戦の始まりとなる楚の侵攻を阻止ずべく蒙武とともに奔走しています。しかし、二人の中間地点を突破されてしまいます。

そのあと、本格的に登場するのも、25巻です。ここでは他の将軍たちと一堂に会します。

ここで、秦軍総司令昌平君から作戦の説明を受け、国門函谷関の守備を蒙豪、桓騎と共に指揮をすることになります。

昌平君から説明を受ける際、張唐は国門函谷関で敵を迎え撃つ作戦を受け、その時桓騎とすでにバチバチ火花を飛ばしています。

【キングダム】張唐(ちょうとう) 将軍は最後もかっこいい!名言を紹介!

『キングダム』(C)原 泰久/集英社

国門函谷関では、まず魏軍総大将 呉鳳明と対峙します。そして、細工をされた井闌車から魏兵が上に侵攻してきます。張唐軍は苦境に立たされます。そして、2台目の井闌車は桓騎軍の前へ現れます。

しかし、桓騎軍は桓騎らしい策で見事に撃退します。本当に桓騎ならではの策です。

また、張唐軍は張唐らしく正攻法で見事に撃退します。この場面からも二人の真逆な性格が伺えます。そして、両軍共本当に強いです。

そして、話は、一旦、他の将軍たちの戦場へと移ります。

次に登場するのは、蒙豪と共に、六大将軍の陰から出られなかった二人が、こうして国門函谷関の守備の指揮をとる意味を語ります。一番癖の強い桓騎とともに(韓騎はこの場にはいません)。六大将軍は嫌いだった、だが、こうして生き残っているというこたは儂らの勝ちということですな。と、締めくくります。

そして、話は、張唐を主役にした話に移っていきます。いよいよ、韓軍総大将 成恢の登場となります。

ここら先は、下で詳しく説明していきたいと思います。

張唐(ちょうとう)の名シーン

張唐は韓軍から攻撃を受けたあと、桓騎を呼びつけます。

【キングダム】張唐(ちょうとう) 将軍は最後もかっこいい!名言を紹介!

『キングダム』(C)原 泰久/集英社

そして、国を守る覚悟があるのかと問い質します。しかし、桓騎は、国が滅びようがどうしようが知ったことでは無いと言います。張唐は、では、この函谷関にお前はなぜ、居ると問いただします。

桓騎は、「戦が強いからだ。」と、言います。逆に、桓騎は、張唐に、お前には秦のために全てを覚悟があるのかと、逆に問います。それに対して張唐は愚問だと返します。

韓軍から攻撃を受けたあと8日後、張唐に身に異変が現れます。韓軍の攻撃は毒を使った攻撃だったのです。そこに桓騎が現れます。桓騎はなんと井闌車を下り、打って出ると張唐に言います。そして、一緒に降りるかと張唐に言います。

一見信じられない策ですが、韓騎は平然と下に降りていき敵軍の中を悠々と進んでいきます。最初は、魏軍を攻めるのかと思われましたが、魏本陣の前を過ぎていき、韓軍陣地に入っていきます。実は、函谷関の上から陣構えから、韓軍本陣を狙っていたのです。そして、満身創痍の張唐もそのあとに続いています。

張唐は韓軍本陣に切り込んでいきますが、そこでついに力尽きそうになります。ですが、最後の力を振り絞ります。

そして、ついに、韓軍総大将 成恢に対峙します。

【キングダム】張唐(ちょうとう) 将軍は最後もかっこいい!名言を紹介!

『キングダム』(C)原 泰久/集英社

こうして張唐は韓軍総大将 成恢の破ります。
そして、最後の力を振り絞り、韓騎に最後の言葉を残します。

そいて、生き絶えた張唐に対し韓騎は、寝言は死んでから言えよ。調子の狂うジジィだったぜ全く。と言いながら、その体を支えています。その後の韓騎にとって少なからずの影響を残す武将となったのです。

張唐(ちょうとう)は強さは六代将軍に引けを取らない大将軍

【キングダム】張唐(ちょうとう) 将軍は最後もかっこいい!名言を紹介!

『キングダム』(C)原 泰久/集英社

張唐は蒙豪と共に六大将軍と時代を共に戦ってきた将軍です。そして、蒙豪とともに中華を統一する嬴政後の始皇帝を支える若き将軍たちのお手本となる偉大な将軍であることは間違いありません。

キングダムの中で、わずかな期間しか登場しませんが、こんな格好いい漢(おとこ)はいません。野盗韓騎がつい心を許しそうになってしまうほどの男気をもつ大将軍 張唐は合従軍戦の中でも見せ場の一つになっていると思います。

このあと、キングダムの中で韓騎のストーリーがどうなっていくのか非常に興味が湧いてきます。
史記の中では、中華統一の途上、李牧に敗れるとなっていますが、原先生はどのように描くのか今後が楽しみでなりません。

ちなみに、俗説で、敗れたあと燕に亡命し樊於期と名を改めたという説(楊寛著書『戦国史』)もありますが、すでに樊於期は趙姫(嬴政の母)の乱の時登場していますので、無いと思います。